お知らせ・取り組み

福島医療生協わたり病院 診療支援(長谷院長)

 

 

福島医療生協わたり病院 診療支援日記

2013年1月13日~20日

鹿児島生協病院 長谷康二

 

1月12日から福島県のわたり病院に診療支援に行きました。目的は主には人員が減って厳しくなった医師体制の支援です。1週間のサイクルで全日本民医連の支援が行われており、九州は12月から支援が始まっています。

 

1月12日(土)

夕方に福島に新幹線で到着。わたり病院は駅から車で10分かからない位のところで、阿武隈川を渡ったところにある196床の病院である。

病院に到着して明日から使用する電子カルテ・オーダリングシステムの説明を受けた。オーダリングを導入して2ヶ月で震災が起こり、その後原発事故が起こり、完全に電子化できておらず、支援の医師が口々に早く完全電子化した方がよいと言い残して帰るそうである。

とりあえず明日には処方を出すのでその点を中心にオリエンテーションを受けてこの日は終了。駅前は明るく人通りも多い。寒さが最大の心配であったが、思ったより寒くなくほっと一安心して、早めの就床。

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13日(日)

初出勤。

福島市は成人式で、ホテルの朝食会場に振り袖姿の女性もちらほら。避難先から帰ってきての出席であろうか。街の様子は何も変わったことはないが、ホテルや病院には放射線量の掲示がしてあり、ちょっとした違和感を感じるが、朝のあわただしい雰囲気などはどこでも見る風景である。

早めに出勤して沖縄の諸見川先生から受け持ち患者さんの引き継ぎを受けた。受け持ち患者さんは10名。そのうち6名は90才代!!70才台は一人だけであった。震災から2年近くたつが復興が進まず、在宅の療養する場はなくなったままで、施設も再開できておらず、介護が必要な高齢者の行き場探しに苦労しているそうである。また、県外に避難した医療スタッフも相当数おり、在宅関連の看護師が病院の機能を維持するために病院へ移っても、仕事に慣れずに離職が相次ぎ、医療スタッフの確保が益々困難になっているのが現状のようだ。

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さていよいよ外来へ。本日はなんと「救急の二次当番日なのでよろしく!!」と言われ、この病院の度胸の据わり方は半端ではないと感心して外来がスタート。

医師会の一次当番医へ患者さんは受診するため、一般の患者さんは少ない。処方を2名に出したところで救急搬入。慢性肺疾患のある心臓病の特定疾患で心不全のために通院中の患者さんであった。うっ血性心不全の増悪と診断したが、40℃近くまで発熱しており、インフルエンザに罹患していることも判明した。重症だなと思いつつ外来で入院部屋の調整をまっていたところ、状態が悪化して人工呼吸器をつけて集中治療を実施することになってしまった。結局初日は、救急車が4台。紹介患者さんもいたが、こちらは外科当番の院長先生が対応された。4名入院で、指示出しまで終わったのが8時であった。

システムに不慣れなためにいろいろ聞きながらであったが、何とか大過なく過ごすことができた。夕方には雪が降り始めた。

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14日(月、祝日)

朝から大雪。人生の中でこれだけの雪の中を仕事に出かけたことはない。前日の夜から降り始めていた雪が朝には積もっていた。患者さんも少なかろうと思っていたところ、地元の医療機関に受診を断られて山間部からも患者さんが次々に来院。

そんななか、消化管穿孔と総胆管結石の陥頓の患者さんが来院され、紹介先を探すことになった。土地勘もなく、福島県立医大が3次救急でなんでも引き受けるということだったので、午前中に消化管穿孔、午後に総胆管結石を紹介したが、午後の患者さんはさすがに手がふさがっているので他も当たってみてくれないかと言われ、ほかの救急病院に引き受けてもらう。

救急体制はどこも本当に大変そう。近々震災後の福島の救急体制のシンポジウムが開かれる予定である。外来で診察しながら思ったが、抑揚の少ない福島の訛りが耳に心地よい。「あれまー、ありがとございます。」と地元訛りで言われるとなぜか心がなごむ。帰宅時は路面が凍結しており、本当に寒い。

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15日(火)

朝礼で医局に紹介された。先生皆に、患者も雪もいつもはこんなに来ないだがと言われた。午前は病棟の患者さんを診察。午後から救急対応と午後外来を担当した。約20名の診察。紹介患者さんの入院があった。

 

16日(水)

極寒!!!3日もしたら溶けると言われた雪は全く解ける気配がなく、今朝はなんと駅前の表示はマイナス5.3℃。来たことのないところに来てしまった感がひしひし。室内にいるとさほどでもないが、外に出ると鹿児島なりの最大級の防寒をしていても全身に力が入り腹筋がつるほどの寒さである。

午前、午後と病棟業務。アルコール性肝障害、慢性膵炎、腎不全で消化管穿孔、脳梗塞の患者さんが入院した。夕方には支援の看護師さんの歓迎会を職員食堂でするとのことで、参加させていただいた。看護師も全国から支援がされており、埼玉のみさと健和病院、名古屋の協立病院、徳島健生病院、北海道勤医協か ら2週間交代で支援がなされていた。北海道から送られてきたジャガイモと鹿児島からのポンカンを食べながら歓談した。

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17日(木)

今日は午前、午後と病棟の担当。日曜日に入院になった患者さんが検査結果説明後、本日退院になった。また、新入院患者1名の受け持ちになった。その他、入院患者さんに必要なインフォームドコンセントをとるためにスタッフが予定調整をしてくれていた3件の面談を行い、今後の方針をご家族と確認した。90才超の方もはやり自宅へ帰ることを目指してがんばっておられる。ご家族曰く、「本人が家に帰りたいって言うから、しょうがないよ」と。それで家に帰ることになるところが暖かい。

11時からは受け持ち患者カンファレンス。看護師、リハスタッフ、ケースワーカーの4人で開催。治療上の問題がないのか、在宅へ帰る際に気を付けてもらうことや準備すべきことなどの検討がなされる。準備が良くされて、患者の把握も十分にされているのでスムーズにいろんなことが決まっていく。一人一人の職員仕事のレベルはかなり高く、カンファレンスの内容も明確でよい。

午後に、県連事務局の下石君がちゃんと支援になっているのか確認のために福島入り。

夕方からは、わたり病院の薬剤師で詩人の大澤さんが子供たちとのかかわりの中で、原発事故から今までをどんな思いで過ごしてきたかを支援の看護師さんたちに話してくださるとのことで、一緒に参加させてもらう。道ばたの花を摘んで持ち帰るのが大好きだった子供さんが、「もう花なんか踏んじゃうんだから」…「どうせとったらダメって言うんでしょ!」というくだりなどは本当に切ない。

原発事故後のたいへんさ、今福島に残っている人たちの苦悩がようやく垣間見ることができ、この人たちの支えにならなければと本当に思った。

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夜は遠藤院長以下病院の職員数名と懇親会。おいしいお酒をいただいた。今度内視鏡の支援に来る予定の名古屋の明南病院の藤林先生も一緒であった。

鹿児島のこと福島のことなどいろいろ話し、楽しい時間を過ごさせていただいた。遠藤院長先生はなんと「黒じょか」を所持されているとのこと。鹿児島に帰ったら焼酎を送ることを約束する。帰り道に転ばぬように、たらふく酒を飲めなかったことがかえすがえすも残念!!?

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18日(金)

今日は晴れの予報であったが、夜から降り出した雪が積もり、更にしんしんと降り続いている。病院までのタクシーは渋滞で全く動かない。さすがに運転手さんもしびれを切らし、大きく迂回して病院到着。

今日は外来の第一診察室の担当。大雪の影響で18名の診察であった。大雪の中の来院のために、ご近所のかなりお元気な方が中心であった。30名くらいを担当することになると言われていたが、指示出しのシステムになれていなかったので少しホッとした。

午後からは支援医師のニュース取材のために、職員のかた数名と懇談。福島に来るときの思いや職員へのメッセージ、診療しての感想などを話した。その中に福島医療生協の副理事長の西元さんという方がおられた。この方なんと鹿児島の山川出身の方であった。組合員活動などの交流で国分地域での取り組みを取材に行ってすごい取り組みをされていますねと言われ、面はゆい感じであった。

 

この日の勤務終了後、病院の管理委員会のメンバーと懇談。医療活動の新たな方針をもってすすめているところなのでその評価を聞かれった。若い医師がいないことで診療に支障が出ている状況は診療のスタイルをできるだけ早く変えて、春からの研修医受け入れの準備を始めた方がよいなどのこと。医療従事者が少ない中でも、医師を支える体制がすばらしいことなどを話した。

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19日(土)

午前中は休み。少し遅めに病院へ向かう。路側には雪がけっこう残っていたが、車道はアスファルトが見える状態までになった。

今日の仕事は午後の日直から当直で、明日の朝までの勤務である。患者さんは少ない。夜になり救急搬入依頼が入った。施設からの94才の発熱の患者さんで、二次当番の病院は救急車が連続して搬入されたため対応できないための搬入依頼である。酸素も低くかなりの重症であったが、NPPVを装着してなんとかひとまず落ち着いた。その後往診している患者さんの入院。更に若い女性の救急車搬入と夜になると慌ただしくなった。救急の受け入れ病院が少なく、搬入先が決まらないことがよくあるそうである。

 

20日(日)

何とかつつがなく20日の朝を迎えた。雪は夜中にまた少し降ったが、福島に来て初めて朝日を見ることができた。長崎の三島先生が引き継ぎのために昨日から福島入りしている。9時前から患者さんの引き継ぎを行う。昨日の重症の方も引き継いで勤務終了となった。帰りの新幹線の時間に少し間があったので、近所を歩いて見ることにした。道路はまだ雪深く、近くの公園まで行こうとしたが、足を取られて滑って転んだ。すぐ近くでご近所さんと井戸端介護をしていた女性に、「よそ見してったら、駄目だよ。」と指導を受ける。福島の人の忠告は聞くに限ると思った。雪のなかに転んだらけっこう痛くないものだと知った。

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これで福島の支援診療は終わったと思っていたところ、帰りに福島駅まで乗ったタクシーの運転手さんが、私のことを鹿児島から診療の手助けにきた医者だとわかりしゃべり始めた。運転手さんは医療生協の組合員さんであった。わたり病院は、30年位前、福島市で救急車の受け入れ拒否のために死者が出たことなどの医療事情から医療生協が設立され建設された病院という話から始まった。

原発事故があったときは、みんなに放射能に対しての知識がないため、配給の水や灯油をもらうのに外で行列をつくって被爆したりしたこと。

その後放射線の学習をして正しく理性的に恐れることを学んだこと。

自分たちでまずは身を守るために、計測器を自治会で購入し、放射線マップをつくり、集めた結果を元に県や市に線量計を皆に持たすことなどの陳情・要請を行ったこと。

若い人たちの健康調査や医療費の無料化を要請して、知事に県独自の制度として実施することを実現させたこと。

福島市に多くの人が避難してきたが、仮設住宅で今でも死者がでたり、飯舘村に家を毎週見に行っている人が自分の家の前で倒れていたことなどの日常的に起こっている悲惨な出来事は、何も世の中に知らされないままに時間だけが過ぎていっているんだと語ってくれた。

言葉に出しても解決しないことや考えることがいやになってしまって誰も話さなくなってしまっていることも話してくれた。しかし、病院の大澤さんがそうであったように、だんだん忘れ去られていこうとしている状況に、何か発信しなければならないと発信を始めた人たちもいる。この運転手さんの娘さんも郡山の合唱団にいたが、原発事故が起こってから今までの心境などを歌にしてCDを自主制作していた。と、いうことで最後のそのCDをタクシーから降りるときに購入して福島駅に到着した。

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震災・原発事故から2年がたとうとしている福島では、医師をはじめとした医療スタッフの確保が困難を極めており、医療供給体制は疲労してきている。そこで働いている人も家族が自主避難しており二重生活をしている人も多く、いまだ16万人といわれている。福島に残って暮らしている人たちは、引き続いている被爆や後遺症の不安に駆られながら毎日の生活を送っているが、そう簡単にこの地を離れる訳にもいかないのであろうと思われた。原発事故が起こるということはこういうことであり、「助けて」と声を上げても今のままでは変わりようもない毎日が過ぎてゆくだけで2年があっという間に過ぎるのであろう。

福島の診療支援に多忙なこの時期に行かせてもらえて本当に感謝している。福島に行って思ったことは次の一点である。この苦悩を抱えている人が同じ日本にいるということであり、この苦痛から一日も早く解放されることを願い、また同じことが日本にある54基の原子力発電所で起こる可能性があるのである。当然、川内原発のある鹿児島でも起こりうることで、福島の苦悩をみて本当に原発を廃炉にすることを考えないといけないと心から思った。

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