医学生のみなさんへ

先輩医師からのメッセージ

先輩からのメッセージです。参考にどうぞ!

 

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鹿児島生協病院 後期研修医 川畑 俊聡

当院での研修の特徴を一言で言うならば、「全部診る」につきると思います。総合内科を始め循環器、腎臓、呼吸器、消化器、外科、整形、眼科、婦人科、小児科……診療科の垣根を越えて、全部。感冒から、心肺停止の救急搬送まで、軽症重症問わず、"全部''。24時間365日、"全部''。小児から、高齢者まで"全部''。外来から入院、在宅から看取りまで"全部''。その「全部」を診れる(少なくとも診ようとする)医者になることが、第一の目標であり、魅力であると思います。
僕個人は小児科を希望していますが、この全部診れる医者になることに大きな魅力を感じ、当院での研修を選択しました。両親の体調不良を相談されたら? 重症心身障害児の子ども達は、やがて成人していきます。その時に自分が内科を診なくてどうするのか? 小児科でも、多くのことを活かせます。他の専門科ではなおのことでしょう。そして何より、全部を診て学ぶことで、経験と学問に裏付けられた自信がつきます。診たこともないことに「まずは動こう」という度胸がつきます。その事を実感した時、ここで研修をしてよかったと、心から思います。
具体的にどんな日々を研修医が送っているか知りたい方、一度遊びに来てください。「百聞は一見にしかず」です。
これからの学生生活、期待や不安が様々なことと思います。部活や遊び、たまには勉強……''全部''経験し、楽しんでください。じゃないと、もったいないですよ!
いつか、みなさんと一緒に働ける日を心から楽しみにしています。

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後期研修医です!前村良弘

社会人として、新米医師として、最初はわからないことできないことばかりで本当に大変だと思います。最初の2年は習うより慣れろ、とにかく何でも積極的にやっていくことしかないのではないでしょうか。
この病院は研修医になんでもやらせてくれます。もちろん後ろでしっかり指導医が見ています。それぞれの研修医に合う指導をみんなで考えるのもここの研修の特徴でしょう。各科の研修・大学とのたすき掛け・離島医療まで結構自由に研修をデザインできると思います。お待ちしています!

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外科 後期研修医  平野 慎一郎

将来の職業として医師を意識し始めたのは高校生の頃で、周囲にモデルとなる医師がいなかった私にとって、医師のイメージは『救命病棟24時』の進藤一生先生でした。自分の体調も顧みず、真剣に患者と向き合い、研修医を怒鳴り散らす姿が、当時の私が憧れた医師像でした。医学部に入学した後も外科医になりたいと思い続けたのは進藤先生への憧れがあったからかもしれません。そこから紆余曲折あり、医師5年目にしてやっと外科後期研修を開始しています。
私は初期研修医含めて4年間一般外科のない病院で主に内科医として勤務していました。一般外来で、救急外来で、病棟で手術が必要な状態の患者と出会うことは多く、手術を受けてもらうために他院へ紹介しなければいけませんでした。そもそも院内に外科医がいなかったので、本当に手術適応があるのか判断に悩むケースもしばしばでした。そんな私が感じる外科の魅力、やりがいというのは、やはり「切って治せる」ことだと思います。外傷や急性腹症は手術をしなければ救命できないことも多く、内科的治療は日々進歩していますが、固形癌の根治治療は手術が第一選択になります。メスを入れるという手段を持たない私では治すことができなかった患者を、今の私なら治すことができるのです。3K職場とよく言われるようにきつい現場ではありますが、自分が執刀した患者が回復していく姿をみるのはとてもやりがいが感じられる瞬間だと思います。
しかし、内科医であろうと、外科医であろうと、自分の用いうる知識と技術を総動員しても治せない患者に出会うことは決して少なくはありません。そんな患者に出会ったときに必要とされる素養は勉強以外の経験から育まれるものだと思っています。勉強、部活動、バイトと多忙な学生生活だとは思いますが、自分の時間を自由に使える学生のうちにアンテナを高く張って、色々な経験を積んでください。きっとその経験が自分の患者を救ってくれるときが来ると思います。

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総合内科 鹿児島生協病院 院長 長谷康二

私は1986年(昭和61年)に鹿児島大学を卒業しましたので、今年で医師生活の30年目を迎えます。卒業後ずっと内科医として医療に携わってきました。
私は卒後大学医局で仕事をしているイメージがなかったため、卒後研修は鹿児島生協病院を選択しました。生協病院は卒後研修(今でいう初期臨床研修のことです)の目標が、離島診療所を担える力量を身につけることでしたので、元々興味があったこともあり、卒後3年目で徳之島診療所という離島診療所で2年間仕事をすることになりました。
徳之島では経験不足の医師ではありましたが、訪れる患者さんの期待に応えるためにとにかく必死でした。現在の医師としての考え方と振る舞いをたたき込まれた環境であったと思っています。
卒後5年目からは消化器内科を自分の専門として選びました。消化器分野は、学生時代にはなぜか好きになれず、決して選択することはないだろうと心に決めていた診療科でした。
1992年に癌研究会附属病院で勉強をする機会をあたえられました。ここでは、世界を相手に仕事をしている先生方に日常的に指導してもらい診断学や治療手技がたいへんおもしろく、時間を忘れて勉強をした夢のような期間でした。翌年には奄美中央病院に帰任しました。長寿の島奄美大島では高齢者の方を診察することが多く、本当に全身丸ごと見ることが要求されました。
翌年には鹿児島生協病院での勤務となりました。消化器科はがんの診療が否応なくついてきますが、終末期医療や緩和ケアについても勉強をした時期です。
2009年からは鹿児島生協病院で総合内科・救急部を開設することになり、責任者として携わることになります。総合診療や救急といわれる分野は健康の問題で「何か」が起こったと訴える人をとりあえず診ることから始まる診療科です。胸痛で受診して心筋梗塞で循環器医に心臓カテーテル治療を行ってもらうこともあれば、打撲で痛み止めの処方で大丈夫な場合もある、そういった現場です。
受診する人は何が起こったのだろうかと不安な気持ちで受診されるのですが、それを的確に見極めて治療することが担当する医師には期待されています。正しく診断できて良くなったら患者さんも満足しますが、私も満足感に酔いしれています。これが今の私の内科医として感じている醍醐味ということになりそうです。
30年目を迎えるにあたり、医師はそのおかれた環境でベストを尽くすことで社会貢献をする職業であると思って仕事をしていますので、是非その目で見に来てください。

 

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